11歳の明治天皇(1864年)

禁門の変が起こる。

尊皇攘夷派の長州藩と公武合体派の薩摩藩・会津藩の間で起こった武力衝突。
前年に起こった八月十八日の政変によって京都から追放された長州藩勢力が、会津藩主で京都守護職であった松平容保を排除するために京都で市街戦を展開する。

この事件の後に、宮中に300人ほどの不審者侵入するという事件が発生し、睦仁はパニックに陥り失神したと言われている。