12歳の源頼朝(1159年)

上西門院(統子内親王の院号)ならびに二条天皇の蔵人(秘書的存在)となる。

平治の乱が起こる。
※平治の乱とは後白河上皇の家臣(院近臣)間の対立(平氏vs源氏)によって起こった政変。

この戦いで、源氏は敗れ父・兄弟とともに東国へ逃げる。
逃げる途中で離ればなれになり父は謀殺、次兄は傷の悪化で死亡、長兄は捕らえられ処刑される。
一方、頼朝は近江国(現 滋賀県)で捕らえられるが、平清盛の養母・池禅尼の助命嘆願によって処刑は免れ伊豆国へ流された。