11歳の西郷隆盛

友人とお宮参りに行った際に喧嘩の仲裁に入ったが刀で切られ右腕内側の神経を切ってしまう。三日間高熱に浮かされたものの一命は取り留めるが、刀を握れなくなったため武術を諦め、学問で身を立てようと志した 。

26歳のサン=テグジュペリ

26歳で作家として「飛行家」の雑誌掲載でデビュー。
寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをしたが、仲間のパイロットの間では反感も強かったという。後に敵となるドイツ空軍にも信奉者はおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。

アエリエンヌ・フランセーズ社で遊覧飛行のパイロットとして臨時採用される。ラテコエール航空会社に操縦士として採用される。

18歳の安室奈美恵

1995年1月、松浦のプロデュースによりリリースされたシングル「TRY ME 〜私を信じて〜」が73万枚の大ヒットとなり、ユーロビートのカバーで初のヒットを生み出す。

4月からは日本テレビ系音楽バラエティ『THE夜もヒッパレ』にレギュラー出演。同年リリースのシングル「太陽のSEASON」からCDクレジットが単独名義となり、これが事実上のソロデビュー作となる。

松浦勝人のパートナーであった小室哲哉と出会い、1995年8月に行われたavex dance Matrix ’95 TK DANCE CAMPに出演。同10月にSUPER MONKEY’Sの楽曲を含んだファーストアルバム『DANCE TRACKS VOL.1』が初のオリコンチャート首位を獲得し、オリコン及び出荷ベースで初のミリオンセラーを記録した。
翌週には小室プロデュース第1弾シングル「Body Feels EXIT」をリリースし、同時にエイベックスへレコード会社を移籍。
以降は小室がプロデュースを担当する。

12月にリリースされた「Chase the Chance」は、シングルで初のオリコンチャート首位、ミリオンセラーを記録した。
同曲で『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場。同日、『第37回日本レコード大賞』に初めてノミネートされ、「TRY ME 〜私を信じて〜」で優秀作品賞を受賞。