3歳の徳川家康 水野忠政没後の水野氏当主・水野信元(於大の兄)が尾張国の織田氏と同盟したため、織田氏と敵対する今川氏の庇護を受けていた広忠は於大を離縁した。そのため竹千代は幼くして母と生き別れになった。