59歳のペリー

1853年7月8日、浦賀に入港した。7月14日、幕府側が指定した久里浜に護衛を引き連れ上陸、戸田氏栄と井戸弘道に大統領の親書を手渡した。ここでは具体的な協議は執り行われず開国の要求をしたのみで、湾を何日か測量した後、幕府から翌年までの猶予を求められ、食料など艦隊の事情もあり、琉球へ寄港した。
「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)たつた四杯で夜も眠れず」と狂歌に詠まれた。