50歳の田畑政治(1948年)

日本水泳連盟の会長に就任。

この年に開催されるロンドン五輪の出場を目指していたが、戦後すぐということから日本はドイツとともに参加を断られる。この状況に対して、田畑は日本代表の実力を見せるべくロンドン五輪の開催日時に合わせ日本選手権を開催した。
この思い切った開催の影響もあり、翌年には国際水泳連盟に日本を復帰させた。

この年に朝日新聞の代表取締役にも就任(1952年には同社を退社)