41歳の伊藤博文

1882年、明治天皇に憲法調査のための渡欧を命じられる。プロイセン憲法の逐条的講義や歴史法学や行政について学ぶ。これが帰国後、近代的な内閣制度を創設し、大日本帝国憲法の起草・制定に中心的役割を果たすことにつながる。