41歳のサン=テグジュペリ

1月、フランスの親独ヴィシー政権からメンバーに指名され、怒りの記者会見を開く。以降、アンドレ・ブルトンによる悪意の噂も手伝って、ヴィシー政府の回し者呼ばわりされる。滞在中、英語は一切話さなかったという。

「城砦」を中断して「戦う操縦士」の執筆にかかる。ジャン・ルノワールの誘いでハリウッドに移る。8月、腹痛のため手術。コンスエロがニューヨークへ来る。12月、日本の真珠湾攻撃により、アメリカ参戦。サン=テグジュペリは涙を流して喜んだという。