39歳の吉田秀雄

日常生活は戦争遂行のために犠牲にされ、衣食は国の統制下に置かれてしまった。新聞や雑誌などの広告媒体は、軍の統制のもとでやせほそり、広告活動そのものが価値をもたない時代となっていた。

1941年に営業局地方部長に昇格。
翌1942年六月には取締役に選任され、同年十二月には常務取締役に就任した。