34歳のフローレンス・ナイチンゲール(1854年)

1854年にクリミア戦争が勃発すると、転機が訪れた。ロンドンタイムスにより、クリミア戦争の前線における負傷兵の扱いが後方部隊で如何に悲惨な状況となっているかが伝えられるようになると、一気に世論は沸騰する。
ナイチンゲールもクリミア戦争に自ら志願して38名の看護婦を率い従軍。

後方基地と病院のあるスクタリに向かい、11月に到着。しかし、兵舎病院は極めて不衛生であり、必要な物資が供給されていなかった。さらに現地のホール軍医長官らは、縦割り行政を楯に看護婦団の従軍を拒否した。ナイチンゲールらは、病院の便所掃除がどの部署の管轄にもなっていないことに目をつけ、まず便所掃除を始めることによって病院内へ割りこんでいった。