26歳のカール・マルクス

『独仏年誌』創刊。人気を得られず廃刊せざるをえなくなった。共同編集長のルーゲとも絶縁。
しかし寄稿された論文のうち、エンゲルスの『国民経済学批判大綱(Umrisse zu einer Kritik der Nationalökonomie)』に強い感銘を受けた。
これに感化されたマルクスは経済学や社会主義、フランス革命についての研究を本格的に行うようになった。
「生産的労働を行って、人間の類的本質を達成することが人間の本来的あり方」「しかし市民社会では生産物は労働者の物にはならず、労働をしない資本家によって私有・独占されるため、労働者は自己実現できず、疎外されている」と述べ自身の立場を「共産主義」と定義するようになる。
10日間エンゲルスがマルクス宅に滞在し、2人で最初の共著『聖家族』を執筆を約束する。これ以降2人は親しい関係となった。
この諸策の中では「ヘーゲルの弁証法は素晴らしいが、一切の本質を人間ではなく精神に持ってきたのは誤りである。神と人間が逆さまになっていたように精神と人間が逆さまになっている。だからこれをひっくり返した新しい弁証法を確立せねばならない」と訴えた」