23歳の水木しげる

8月25日、部隊長から「ポツダム宣言受諾」についての訓示を受ける。

軍内では落胆の声が広がったが水木は「生き延びた!」と思い、戦場で死ななかった事に感無量だったという。

カゼル岬にあった連合軍の捕虜収容所に収監されて本国送還の順番を待つ間、トライ族から農地を分けるから一緒に暮らさないかと誘われ、現地除隊して永住することを真剣に考えたこともあった。

砂原から「家族に会ってから決めても遅くないぞ」と助言され、帰国を決意した。