22歳の徳川家康 1564年三河一向一揆が勃発するも、苦心の末にこれを鎮圧。こうして岡崎周辺の不安要素を取り払うと、対今川氏の戦略を推し進めた。 1566年までには東三河・奥三河(三河国北部)を平定し、三河国を統一した。