21歳の山本五十六(1905年)

日露戦争が起こる。

五十六は少尉候補生として装甲巡洋艦「日進」に乗艦する。

ロシア海軍のバルチック艦隊と戦った日本海海戦では、東郷平八郎率いる連合艦隊が勝利しますが、五十六は左手と左足(切断の可能性もあった)に重傷を負う。
※原因は敵砲弾の炸裂か「日進」の砲塔の早発といわれている