18歳の田中角栄

中央工学校土木科を卒業し、建築事務所に勤めるようになるが、事務所の主催者が軍に徴集されたため、1937年(昭和12年)春に独立して「共栄建築事務所」を設立する。

これに前後して、日比谷のビルで大河内正敏と偶然エレベーターに乗り合わせたことから知遇を得て、事務所は理研コンツェルンからの仕事を数多く引き受けた。