18歳の杉原千畝

医者になることを望んだ父に受けさせられた京城医専の試験では「白紙答案を提出」して「弁当だけ食べて帰宅」。

千畝は、父の意に反して、1918年(大正7年)4月に早稲田大学高等師範部英語科(現・早稲田大学教育学部英語英文学科)の予科に入学。英語の先生になるつもりだった。