晩年の勝海舟 

ほとんどの時期を赤坂氷川の地で過ごし、政府から依頼され、資金援助を受けて『吹塵録』(江戸時代の経済制度大綱)、『海軍歴史』、『陸軍歴史』、『開国起源』、『氷川清話』などの執筆・口述・編纂に当たる。
1899年 風呂上がりにブランデーを飲んですぐに脳溢血により意識不明となり、息を引き取った。海舟の最期の言葉は「コレデオシマイ」だった。