5歳の手塚治虫

一家は兵庫県川辺郡小浜村(現在の宝塚市)川面(かわも)に移った(そこは1932年に他界した祖父の屋敷であった)。戦前の寶塚(宝塚)は田園風景の中に新興の住宅地が散在して、その中心に宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の本拠地である宝塚大劇場、宝塚ファミリーランドの前身である宝塚新温泉や宝塚ルナパークなどの行楽施設が立ち並んで、一種の異空間を形作っていた。宝塚の人工的な近代都市の風景は手塚の作品世界の形成に大きな影響を及ぼしたと考えられる