29歳の吉田松陰

1858年

幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、討幕を表明して老中首座である間部詮勝の暗殺を計画する。

だが、久坂玄瑞、高杉晋作や桂小五郎らは反対して同調しなかったため、計画は頓挫した。

さらに、松陰は幕府が日本最大の障害になっていると批判し、倒幕をも持ちかけている。
結果、松陰は捕らえられ、野山獄に幽囚される。