27歳のナポレオン(1796年)

司令官として活躍する。

フランス総裁政府の総裁・バラスによりイタリア方面軍の司令官になる。
当時はフランス革命の影響が欧州各国に広がっており、フランスに対抗しようと半同盟を結んでいた。
このような中、総裁政府はオーストリアを包囲するためにドイツとイタリアの一部方方面から攻略しようとした。
ドイツ側からの部隊が苦戦する中、イタリア方面軍を指揮したナポレオンは連戦連勝を飾る。

翌年にはフランスはオーストリアとカンポ・フォルミオ条約を結び、第一次対仏同盟は崩壊する。