65歳の徳川家康 駿府城に移って、「江戸の将軍」に対して「駿府の大御所」として実権を掌握し続けて幕府の制度作りに勤めた(大御所政治)。 朝鮮通信使と謁見し、文禄・慶長の役以来断絶していた李氏朝鮮との国交を回復した。