54歳の田畑政治(1952年)

ヘルシンキ五輪で日本選手団団長を務める。

戦前に開催されたベルリン五輪以来の出場であったが、競泳は銀メダル3個の成績であった。

一方、田畑は帰国後に東京でオリンピックを開催できるように都知事や政府に働きかけ、1964年の東京五輪開催を実現させる。